薬用リップクリーム

この気持ち渇いてしまうまえに

雑記0124


いつも平凡な毎日を過ごしている私だが今週、というか今月は結構感情の起伏が激しい。ツイッターに逐一投稿するとTLが乱れる可能性もあると思うのでとりあえずこちらに詰め込んでおく。

今月は「懐古」の月だった。
懐かしい人や思い出や感情に触れることが本当に多かった。もともと予定されていたものや、偶然見つけたもの、当時はもう二度と思い出したくないことだったかもしれないけど、今振り返るとキラキラした思い出に昇華されていた。それがかなしくもあり、嬉しくもあった。結局は戻れないんだということを改めて知ってしまったから。
自分の思い出は大体キラキラしている。いや思い出だからキラキラしているのかもしれない。思い出に「なったから」キラキラしているのかもしれない。
私のターニングポイントはやはり中学校の3年間だと思う。普段の授業プラス部活プラス習い事も行って、塾にも行って。中2のときは放送委員、中3のときは学級委員もやって。今の私じゃ考えられないほど中学生のときは活動的だった。
いや今私がこうなのは、中学生が同時に両立できることは一通りやり尽くしてしまったからなのかも。高校生になってからダラダラすることが格段に増えたから。そんなダラダラさえ、今はキラキラして見えるんですけどね。
思い出というものは美化されるから思い出なんだな、と感じた。


そして今月は「反省」の月でもあった。
あらためて言葉とツイッターの難しさを実感した。ツイッターが意外とシビアな世界だなあと思うのは相手を1度でも「リムーブ」したり「ブロック」したりすると、そこから関係を元に戻すことはほぼ不可能なところ。「相互フォロー」の関係性なんて、女の友情よりはるかに脆い。比べるものじゃないか。
『ネットだから』というひとことで片付けられるのならこんな風にブログにわざわざ書かない。私もブロックされたりリムーブされたりするとそれなりにへこむ。「自分の言い回しが駄目だったんじゃないか」とか「やっぱ合わなかったのかな」とか。でもその理由は聞けない。それがツイッターなのだ。聞いてバトってはいけないのがツイッターなのだ。ここが私は不思議だなと思ってしまう。
考えすぎだろって思われるかもしれないけれど、それでもツイッターを辞めようと思ったことはあまりない。ブロックされて、リムーブされたとき原点に還る。「自分はただ自由に呟きたくてツイッターを始めたのだ」と。自分に言い聞かせるときもある。今は言い聞かせている期間である。
私もブロック自体はしたことはある。でもブロックしても「またこの人のツイート見たいな」と思うことがある。だけど、きっと今のツイッターは本当の意味で「リフォロー」することにいい印象を持たない人のほうが多い気がする。寂しい。私がアカウントを取得したころ、ツイッターはゆるいSNSという印象だったので仲直りマニュアル的なものがひとつはあってもいいのに。寂しい。
いやでも人間関係修復はリアルで勉強しろよ!ってことなのかな。それだったら納得する。
以上、「突然突き放すことのできるツイッターの話」でした。(最初とテーマ違ってる)


もっと柔らかい言語表現ができるようにがんばりますので、応援よろしくお願いいたします(?)